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- 2大遊覧飛行とジョムソン・ポカラ10 日間 (化石との出会い) 文:野々村誠
- 1月22日(土)(3日目)
平成 23 年1 月20 日 ~ 平成23 年1 月29 日 文:野々村 誠
1 月22 日(土)(3 日目)
モーニングコールは 6 時で、朝食は7 時であった。 8 時にバスでホテルを出発し、ドゥリッケル近郊の山をバスコットまでミニハイキングを行った。片道約1時間半で明日からの山歩きのための足慣らしである。
今日は、バスの席が決められており、私は後部座席であった。隣の席には、私と同世代位のお姉様で、気軽に話しかけてきた。名前はYさんで、ひとりで参加したそうである。前の席のお姉様は、昨日知り合ったHさんだと紹介してくれた。
私の名前は野々村ですというと、「野々村誠さんね」と帰ってきた。初めて会ったのになぜ私の名前を知っているのか不思議であったので、聞いてみると「野々村」といえば、芸能人の「野々村誠」を思い浮かべ、名前を覚えるのだそうである。こうして、3人の珍道中が始まった。
バスを降り山道を歩いていると、村から小学生くらいの子供たちが一緒に付いて来て、英
語で話しかけてきた。道すがらいろいろ質問すると答えてくれた。しばらく歩くと中学校のある広場についた。小さな駄菓子屋さんがあったので、小銭に両替するためキャンデーを買い、案内のお礼に子供たちにプレゼントした。
子どもたちは、数人で分け合い、その場でキャンデーを口の中に入れたが、その包み紙はそのまま道路に捨てていた。ゴミをポケットにしまうという習慣がないのであろう。道理で、山の中の道端なのにゴミが多い。道端には、美麗な字で英語の練習をしたノートの紙が捨てられていた。これをみると、日本の中学生レベルであった。
また、途中からヤギの乳を入れる缶を持った少年が私のそばに寄ってきて、英語で話しかけてきた。少年は、持っていた缶を道端に置き去りにして日本のことを聞いてきた。少年は、セカンダリースクール(中学校)の1年生だそうであるが、英語を喋れるのである。日本の中学生よりもうまい。山を降り、バスの所までついてきたこの少年に何か記念になるものをあげようとしたが、生憎土産類は、スーツケースの中にあり、何もあげられなかった。記念に写真を取ったので、後日送ってあげた。
のどかな山間をハイキング
ハイキングが終わるとカトマンドゥ市内のレストランで中華の昼食を食べた。食後にネパールのガイドさんがネパールの新聞に日本がアジアカップのサッカーの試合でカタールに勝ったと教えてくれた。今回のツアーの参加者もサッカーに関心があるのか、皆喜んでいた。
この後、少し自由時間があり、食事で同席したOさんと一緒に市内を散策した。Oさんも海外にはよく行くそうで、ネパールは2回目だそうである。
その後、カトマンドゥの国内線空港に行き、AGNI AIR の飛行機でポカラに向かうことになった。空港内でしばらく待たされたが、15 時20 分に小さな飛行機に乗り、約30 分でポカラに到着した。飛行中、右手には、雪をかぶったヒマラヤの山々がよく見え、席から身を乗り出してその景色を写真やビデオで撮った。
ポカラに向かう飛行機からのアンナプルナ連峰空港からは、バスで 5~6 分で、16 時半頃ポカラグランドホテルに到着した。ホテルは見栄えのする立派なホテルである。このホテルからは、天気がよければアンナプルナ連峰やマチャプチャレが見えるそうであるが、生憎雲がかかっており、見えなかった。