- 化石セブン【HOME】
- その他
- 読み物
- 徳島県化石研究会会長の鎌田誠一氏「私流、化石の楽しみ方」
- 第7回 毎年一度、開催される楽しい地学サミット研修旅行
第7回 毎年一度、開催される楽しい地学サミット研修旅行
サミットと聞けば、1975年フランスの提唱で始まり米国・英国・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・日本・ロシア連邦など8か国の首脳が年1回集まり、主に経済と政治問題を協議する主要国首脳会議が頭に浮かびますが、私が今回話をしますサミットは徳島大学学芸学部 地学研究室OBの先生方7名と私の8名が年一度集まり、国内の史跡や地質調査、研究、協議する研修旅行を言うのです。
現在の地学サミット研修旅行の呼び名がつく以前は、地学研究室OBの先生方だけで行われていましたが、とにかく先生方は酒豪、それゆえ遠出は無理と考え徳島県内のみと行動範囲に宣言があったようでした。
そこに私が恩師(故)久米嘉明先生の代わりに参加させていただき、酒を一口も嗜まず、運転が得意な私がハンドルを握ることで爆発的に国内各地にと行動範囲が広まったのです。
そして8か国の首脳サミットと同じような解釈をして、人数もぴたり、年一度の開催もぴたり、規模は日本国内と小さく、また話す内容は違いますが協議することに関しては同じなので地学サミット研修旅行と名がついたのです。
現在サミットに参加している先生方は東明先生・近藤先生・久保先生・森本先生・大戸井先生・小川先生・稲井先生などで私が高校生の頃、当時、徳島大学学芸学部 地学研究室教授の須鎗和巳先生のもと、主に和泉層群など学術調査をしていた先生方で、高校生の頃、恩師の久米先生に同行し参加させていただいていたので顔なじみの先生方です。
サミットメンバー(右は滋賀県の化石仲間、羽島さん)
とにかく見学地は表立った有名な観光地は訪れることなく、埋もれた史跡や地域の名所、博物館、神社仏閣、地質的に特徴ある場所など尋ねるのです。そして宿泊地は風光明媚で俗化されてない民宿で、そこならではの新鮮な料理が食せるところを選ぶのです。酒を嗜み美味しい料理を食べ、博学な談義は数時間続きますが誠に楽しいものです。そして小川先生と稲井先生の囲碁対局が朝方近くまで続くのが恒例行事となっています。
車は稲井先生の8人乗りランドクルーザー
私が最初に参加したのは2005年2月11日~12日の1泊2日の高知県内の地質・横倉山の化石・自然・文学などを訪ねる旅でした。とくに宿泊した佐川駅前の旅館は行程の便宜上泊まった旅館だったのですが、先生方の恩師である須鎗先生が若かりし頃、単独で周辺地質調査のため長期滞在した宿だったことが後日談でわかり、「蛙の子は蛙」そのものだと言うエピソードが良い思いでとなりました。
翌年の2006年2月11日~12日は佐田岬周辺での地質研修・せと風の丘パーク見学・帝国海軍特殊潜航艇「甲標的」練習基地 9軍神慰霊碑参りなどでした。とくに宿泊した海鮮料理がうたい文句の宿の夕食は、吟味された新鮮な魚で、ここの漁は網を使わずすべて疑似餌の一本釣りだそうです。そして大分県佐賀関の豊後水道で獲れるのが関サバと呼ばれるのに対し、対岸のここは岬サバと呼ばれていて新鮮そのもの、その他フグ・ホウボウ・ハマチ・アジ・メバルなどの盛り合わせが並びました。
新鮮な料理を囲んで酒と談義は続く
また行程2日目には、真珠湾奇襲に際して航空機による攻撃に呼応して、湾内に進入し、敵艦に魚雷攻撃を仕掛ける作戦に参加した甲標的(艦首に魚雷を2本もつ乗員2名の帝国海軍特殊潜航艇)5隻の乗員、計10名の内、戦死した9名「九軍神」の慰霊に参拝しました。軍神は戦いに赴く前に、三机湾を真珠湾にみたてて極秘の訓練をうけるために滞在しましたが、同地方の人々との交流も深く、彼らの逸話美談が現在も町民の間の語り種となっているのです。9軍神をはじめとして、戦争では多くの人々が散っていきましたが、その人々のお陰で現在の私たちがあることを忘れてはならないことを改めて心に刻みました。そして別子銅山記念館横の国領川河原に降りザクロ石を採集しました。
2007年2月10日~11日は兵庫県生野銀山・兵庫県立人と自然の博物館・明石市立天文科学館など見学、特に宿泊した兵庫県朝来市生野町黒川 の宿のすぐ裏に土や岩石を材料として盛り立てて造られる、表面遮水壁型のロックフィルダムがあり、翌朝の目覚め、うっすらと雪化粧したロックフィルダムの石積みの冴えた美しさに目を奪われ、心身ともに大きな爽快感を味わいました。
うっすらと雪化粧のロックフィルダム
2008年2月9日~10日は広島県呉市大和ミュージアム見学・岡山県成羽の化石採集で、とくに大和ミュージアムは私がどうしても見たかった場所で戦艦大和の10分の1(全長26.3メートル)の展示は圧巻でした。しかしそれよりも私はゼロ戦の実物展示に感動をしました。小学生の頃、太平洋戦争当時の日本の戦闘機や国や家族を守る為華々しく散った空の英雄に憧れ、プラモデルの戦闘機をよく作成していましたが、実物を目の前にした感動は最高で、操縦席に座り大空に舞い上がりたいと年甲斐もなく思いを馳せたのでした。
2009年2月28日~3月1日は滋賀県安土桃山城史跡・彦根城・琵琶湖東岸沿線・浮見堂・福井県大飯郡高浜町で新生代中新世の化石採集などでした。ここは滋賀県ということもあり、私の化石仲間の近江八幡の羽島さんに古琵琶湖層群のドブガイ化石採集の案内をお願いしており、2日目の朝、宿で待ち合わせをしたのですが「福井県で中新世の化石がたくさん採集できると情報が入ったのでそちらにご案内する」ということで急遽太平洋側に行く予定が日本海側にと向かったのです。そしてここでは大戸井先生が素晴らしいムカシスカシカシパンウニを採集したのでした。
2010年4月17日~18日は和歌山県内の観光・白木海岸での化石採集・「稲むらの火」の真実を求めて訪れましたが、やはり現地で検証した史跡や伝承は、私が小さい頃昔話で聞いていた話とは食い違いがあるということを実感させられたのでした。
とにかくサミット研修旅行は興味深く、面白く非常に内容あるものなのです。今後、体が動く限り旅を続けたいと思いますが、今年の白木海岸での化石採集時に海岸までの道中で痛切に自分の体の限界を感じたのでした。
そこでまだ余力があるうちに出来るだけ遠くまで行きたいと私が提案し、仙台の案を上げましたが先生方は訪れたことがあり、そこで私がもう一度生きたい種子島と提案すると先生方には経験がなく、来年は種子島ときまりました。すべて車の道中なので日数も今までよりは多くとり、旅をゆっくり満喫できるよう今から楽しんで計画していきます。
同好の志との旅は、本当に心から楽しめるふれあいの旅なのです。